「自分の好きなことをやり続ける」という言葉は、とても魅力的に聞こえる。SNSで成功者の名言として引用され、キャリアの選択肢を迷う若い世代の心を掴む。確かに、それは素晴らしい人生哲学に思える。だが、実際にそれを追求しようとするとき、私たちの前には予想外の困難が立ちはだかる。好きなことをやり続けるというのは、思ったほど純粋な選択ではなく、むしろ多くの矛盾と妥協を含んだ営みなのだ。
好きなことの定義の曖昧性
まず、根本的な問題がある。「好きなこと」とは何か。これは一見簡単に思えるが、実は極めて曖昧な概念だ。
短期的な楽しさと長期的な充足感は別物である。ゲームをしたり、映画を見たり、何もせず寝ていたりすることは楽しいかもしれない。しかし、これらが本当に「好きなこと」として人生を捧げる対象だろうか。多くの人にとって、答えはノーだ。
実際には、私たちが本当に好きなのは「その活動そのもの」よりも「その過程で何かを創造すること」「誰かの役に立つこと」「自分が成長すること」などの、より深層的な充足感である場合が多い。作家が本当に好きなのは執筆という行為そのものではなく、物語を通じて読者と交流する体験かもしれない。ミュージシャンが好きなのは楽器を弾くことではなく、聴者の心を揺さぶる瞬間かもしれない。
つまり、「好きなことをやり続ける」という目標を掲げた時点で、私たちはすでに曖昧な概念に向かって歩んでいるのだ。
好きなことと現実の乖離
さらに難しいのは、好きなことと生活の現実との乖離である。
好きなことで生活できるようになるまでの過程は、決して好きなことだけで構成されていない。プロの小説家になりたい人は、執筆以外の時間を、編集者との打ち合わせ、原稿の修正、出版社への営業、SNSでの宣伝、そして締め切りに追われることで埋めることになる。画家は絵を描くことが好きでも、材料の購入、展示会の企画、ギャラリーとの交渉、営業活動といった多くの業務に時間を使う。
これらは「やりたくないこと」である場合がほとんどだ。にもかかわらず、好きなことをやり続けるためには、これらを避けられない。好きなことと無関係な仕事をして生活費を稼ぐというのも一つの選択肢だが、それは時間とエネルギーを消費する。好きなことを仕事にするなら、好きではない部分まで引き受けるしかない。これは多くの人にとって想像以上に大きな負荷になる。
継続のための我慢
そして、最も見落とされやすいのが「我慢」の問題である。
好きなことをやり続けるためには、短期的には不快なことに耐える必要がある。明け方まで执筆して睡眠不足になる。締め切りに追われて、体調が悪いのに無視して仕事を続ける。批判や拒絶に直面する。収入が安定しない時期を乗り越える。
これらは「やりたくないこと」であり、むしろ「避けたいこと」である。だが、好きなことを職業にすれば、このような苦しみは頻繁に訪れる。むしろ、好きなことを追求する過程では、普通の仕事以上に過酷な状況に直面することすら珍しくない。なぜなら、好きなことを仕事にするとき、私たちはより高い水準を自らに課すからだ。他人の評価も気になるし、自分自身の期待値も高くなる。
つまり「好きなことをやり続ける」ことは、同時に「嫌なことに耐え続ける」ことでもあるのだ。
妥協と現実主義
多くの成功している人たちを観察すると、彼らは「好きなことだけをやり続けた」わけではなく、むしろ「好きなことのために、必要な妥協をしてきた」ことに気づく。
ビジネスを起業した起業家は、最初は営業や経理も自分でこなす。優れた研究者は、論文執筆以外に、助成金の申請書類や教育委員会の報告書を作成する。成功したアスリートは、トレーニング以外に栄養管理、睡眠管理、メンタルトレーニング、そして退屈な筋トレと向き合う。
彼らは「好きなことだけをやっている」のではなく、「好きなことを続けるために必要なことをやっている」のだ。この違いは実は大きい。前者は理想主義的で逃げ道のない世界観であり、後者は現実的で柔軟な哲学である。
成功している人たちの多くは、実は「好きなことをやり続ける」というシンプルなモットーではなく、より複雑な現実主義的哲学を持っているのではないだろうか。それは「好きなことのためなら、必要な苦労は引き受ける」という覚悟である。
優先順位の設定
さらに深く考えると、「好きなことだけをやり続ける」というのは、実質的には「優先順位の徹底した設定」を意味しているのかもしれない。
何かを最優先にすれば、他の何かは後回しにしなければならない。完璧主義を手放さなければならない。効率性を無視しなければならない。安定性を諦めなければならない。人間関係の維持に時間を割くことができなくなるかもしれない。
実は、私たちが「好きなことをやり続けている人」だと思っている人たちは、見えないところで多くのことを諦めている。全てを手に入れることはできないという現実と、真摯に向き合っている。その覚悟があるから、好きなことを続けられるのだ。
本来の意味の再考
では、「好きなことだけをやり続ける」というモットーは、本当は何を意味しているのだろうか。
それは、おそらく「自分の人生において最も価値のあることを優先する」という意味なのではないか。同時に「その過程で生じる不快感や苦労を受け入れる」ということも含まれているのではないか。
純粋に「好きなことだけ」をするというのは、現実的には不可能である。むしろ、モットーにすべきは「嫌なことも、好きなことのためなら耐える」という、より複雑で大人びた哲学かもしれない。これは一見矛盾しているが、実は多くの人生で証明されている哲学である。
親が子どもの世話をするのは完全に「好き」なことばかりではない。研究者が研究を続けるのは、煩雑な書類業務を我慢してのことである。アーティストが創作を続けるのは、生活の不安定さに耐えてのことである。
誠実さと自己欺瞞
「好きなことだけをやり続ける」という言葉があまりにも美しいため、人はそれに惑わされやすい。だが、誠実に自分の人生を見つめると、それは幻想であることに気づく。
大切なのは、その幻想に気づきながらも、それでも自分の好きなことを追求し続けるかどうかという判断ではないだろうか。好きなことのためには、好きではないことも受け入れる覚悟があるか。短期的な苦労を長期的な充足感のために引き受けられるか。
このような現実的な問い掛けに向き合うことが、本当の意味で「好きなことをやり続ける」という決断につながるのではないだろうか。
矛盾を抱きしめる
結局のところ、「好きなことだけをやり続ける」というモットーは、そのままでは実行不可能な理想である。しかし、その理想を掲げながらも、それと矛盾する現実を受け入れ、それでもなお歩み続ける人たちがいる。彼らこそが、本当の意味で「好きなことをやり続けている」人たちなのだと思う。
我慢が多いこと、やりたくないことをたくさんしなければならないこと、それらは好きなことを追求する過程を否定するものではなく、むしろそれを構成する不可欠な部分である。
完璧な理想ではなく、多くの矛盾を抱えた現実。その中でも、自分にとって本当に大切なものを見失わない。そうした誠実さこそが、人生哲学としての価値があるのではないだろうか。
「好きなことだけをやり続ける」というシンプルな言葉は、実は非常に複雑な営みの言い換えなのだ。その複雑さを理解した上で、それでも歩み続けることが、本当の強さなのだろう。


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